海印寺&徳裕山 해인사와 덕유산

海印寺は、慶南と慶北をまたにかけるカヤ山のふもとに位置した寺院で三寶寺刹の中の一つである法宝寺である。

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海印寺&徳裕山

陜川(ハプチョン)海印(ヘイン)寺は、慶南(キョンナム)と慶北(キョンボク)を
またにかけるカヤ山のふもとに位置した寺院で
三寶寺刹(サムボサチャル)の中の一つである法宝寺である。

三寶寺刹と言うのは、仏教で言う三宝(佛、法、憎)らを代表する寺のことを言う。

残りの佛宝寺は、梁山(ヤンサン)にある通度(トンド)寺、僧宝寺は順天(スンチョン)の松廣寺である。
海印寺が法宝寺に登録されたのは、海印寺大藏經板(パルマンデチャンギョン)のためである。

仏家で法と言うのは仏経を意味し、韓国最大の仏経である海印寺大藏經板が
海印寺の藏經閣(チャンギョンカク)にあるために、海印寺が法宝寺となった。

海印寺大藏經板は、元の国の侵入時に仏力で国を求めるために作った仏経木版で
江華(カンファ)島の禅院(ソンウォン)寺に作られたが、
被害から避けるために深い森の中にある海印寺に移されたという。

寺にたどり着くまでの山道は、緑の木々が生い茂っていて癒しを与える。

一柱門に向かう道
海印寺 大寂光殿
海印寺 大寂光殿(デジョクグァンジョン)

大寂光殿は、毘盧舍那佛(ピロジャナブル)を本尊佛で仕える華嚴宗寺の中心法堂である。

釈迦の説法した真理が太陽のように宇宙に照らすことを形象化した毘盧舍那佛は、
仏教の真理自体を象徴する仏像である。

毘盧舍那佛を、仕えた宮殿は大寂光殿以外にも華厳殿と毘盧殿がある。
ここ大寂光殿は、802年にスンウンとイジョンという二人のお坊さんが創建したと言われている。

創建当時の名称は毘盧殿であったが、1488年に王室の支援によって大寂光殿と名称を変えた。

現在の建物は1817年に燃えて修復したものを、1971年にチガンというお坊さんが再び修復したものである。

大寺の中心仏殿に相応しく正面に5間、側面に4間の入母屋造りで見る人を圧倒する。
海印寺 3層石塔
海印寺 3層石塔
慶尚南道(キョンサンナムド)有形文化財 第254号
この塔は、2段の基壇と3段の塔身と屋根で成り立った統一新羅後期の典型的な石塔様式である。
元々、この塔の支えは新羅石塔の様式である2段であったが、
1926年に塔を修復して支えを追加して段を1段階上げて、本来あった花模様の部分を失ってしまった。
海印寺石燈
海印寺石燈
慶尚南道 有形文化財 第255号
石燈は仏様がいる寺に明かりをもたらすために作られたもので、
仏様に対する供養と関係するものであり仏様を象徴する塔と共に法堂の前に設置されている。
海印寺
海印寺http://www.haeinsa.or.kr/home.html

徳裕(トクユ)山に移動
ゴンドラに乗って雪川(ソルチョン)峰まで移動する。
徳裕山登るのは今回が初めてだったが、一番大好きな山になった。
徳裕山は徳の多い寛大な山と言われ徳裕山と言う名前がつけられたと言う。
徳裕山
ゴンドラに乗って雪川峰まで上がると大きな楼閣がある。

雪川峰から見る徳裕山の風景
徳裕山
徳裕山
徳裕山
徳裕山
イチイの木は成長するまで千年、死ぬまで千年と言われている。
実際には万年以上残っている木もあるという。
徳裕山
徳裕山
※徳裕山は1975年、五臺山と共に韓国10番目の国立公園に指定された。
全羅北道(チョンラポクド)茂朱(ムジュ)と長水(チャンス)、
慶尚南道(キョンサンナムド)居昌(コチャン)と咸陽(ハムヤン)をまたにかけて聳え立っている。
海抜1,614mの香積(ヒャンジョク)峰を頂上として、白頭(ベクドゥ)山脈の一つでもある。
奇巌絶壁と瀬からなる九千洞(クチョンドン)滝は、
昔から先人たちが名付けた33景で徳裕山の美しさを代表している。
徳裕山は、主峰である香積峰を中心に1,300m内外の厳かな尾根が南西に30kmも続いて、
その中の徳裕山主峰を含めて東にはジボング、北には七峰が位置している。

徳裕山国立公園
http://deogyu.knps.or.kr/index.aspx

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