全羅道 群山と高昌 전라도 군산과 고창

月明公園は市民の休憩の場であると同時に観光地で、高昌支石墓遺跡地は韓国だけではなく、世界的にも有名な文化遺産です。

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全羅道 群山と高昌

 

群山 月明公園から高昌支石墓遺跡地まで

 

コンセプト:行った事のない場所/未体験体験旅行
経路:群山月明(ウォルミョン)公園→高昌邑城/パンソリ博物館→高昌支石墓遺跡地→高昌学院農場→高昌仙雲寺→ソ・ジョンジュ生家/詩文学院/トドゥムビョッ村→全州(チョンジュ)韓屋村

韓国観光公社主催の第10回「大韓民国隅々まで訪ねるイベント」の行き先は、群山にある月明公園です。

今回の旅は、全羅道の美味しいお店を訪問するという企画なので、
ソウルから群山に到着するやいなやケジャンで有名なお店で昼食を取った後に月明公園へと移動。

※月明公園
都心の中にある月明公園は、
市民の休憩の場であると同時に観光地として韓国でも最大規模で、
塔を中心とした文学散歩コースと月明湖を中心と自然生態公園に分けることが出来る。
月明公園の森は、松の木が立ち並びそれ程高い山はないが、
山頂に上ると西海、長湾、鳶(ヨン)島まで見ることが出来る。
4月の月明公園はレンギョウ、椿の花が咲き、
5月は桃色の桜とツツジの花が咲いて、
6月にはアカシアの花の香りが山中に広がる。
月明公園の象徴である塔に登ると西海の海と群山市全景を一同に見ることが出来る。
ここは、海と山を同時に楽しむ事の出来る全国でも数少ない公園でもある。
そして、月明公園の中には1912年に
市民に植樹を供給するために作られた第1水源池とウンジョク寺がある。

月明公園に上る階段の側にはヘマントンネルと言うトンネルがある。
ヘマントンネルは、日帝時代の1926年に旧群山支庁中央路と水産業の中心地であった
ヘマン洞を結ぶためにトンネルが作られた。
当時、ヘマントンネルは人々が多く利用する交通の要所だったが朝鮮戦争中には
人民軍部隊がトンネルの中を占領して連合軍の空軍機から攻撃を受けた歴史の現場でもある。
現在では車の通行は制御され、映画やミュージックビデオの撮影場所としても使用されている。


ヘマントンネル 
 

 

月明公園の説明をしてくれる文化解説者の方。案内図だけを見ても公園の大きさがわかります。
都心の中にこれ程大きな公園があるというのは、群山の自慢だと言います。


月明公園 


公園に上るまでの道には三つ葉のクローバが生い茂っていました。


月明公園 


シンボル「随時(スシ)塔」

 
随時塔は1967年に船舶の帆と繁栄を象徴する花火を現わす模型として建立されました。
この随時塔に登ると群山市と西海、山と海を同時に見ることの出来る全国でも珍しい公園だといいます。


随時塔 

 

随時塔 
 

随時塔の裏手にある散歩路です。


月明公園 


月明公園 


月明公園 


海の彫刻公園へ行く道の途中にある母子像です。


月明公園 


また、途中には小さな彫刻公園がありました。


月明公園 


月明公園 


月明公園


時間があまり無かったせいもあって少しだけ回り後にした月明公園。

今回の群山訪問で一番思い出に残っているのは、
旅行スケジュールから群山鍾乳洞と群山鉄道が除かれて
失望感を隠すことが出来なかった文化解説者の姿です。

群山を隅々まで回ることは出来なかったが、群山に対していろいろと知ることが出来た。
月明公園近くのヘマン洞と月明洞は、
日帝時代の建物や近代的な雰囲気の建物が多いため、映画の撮影地としても有名です。
また、ヘマン洞は公共美術プロジェクト都市で路地には小さな路線があるなど、
近代と現代の雰囲気が共存している群山に興味を持つようになった。 
 

※群山視聴文化観光課  http://tour.gunsan.go.kr/

高昌支石墓遺跡地へ移動

支石墓は、一般的に地上や地下の墓の上に巨大な覆い石を覆った
先史時代の墓で巨石文化の一種である。
支石墓というのは、純粋な韓国語で「支える石を持っている石」という意味を持っている。

※高昌支石墓遺跡地
竹林里(チュクリムリ)及び上甲里(サンガプリ)一帯の支石墓は、
1965年国立博物館によって3つが発掘調査された以来、
1990年には、全羅北道とウォングァン大学の共同で3ヶ月に渡る
現地調査によって447つが発掘調査され、
破損した108つを含めると550つが確認された。
しかし、調査以前に破損したものを合わすと約1,000以上にもなると推定されている。
このように遺跡が密集している場所は、
韓国の他の地域では見ることが出来ず、世界的に見ても遺跡の密集率が高く、
朝鮮半島の青銅器時代の様相を把握することが出来るだけでなく、
当時の人々の精神、社会、文化などを知ることができる重要な資料となっている。
また、その数に驚くだけではなく多様な形式。
例えば北方式と言われるテーブル式や南方式と言われる基盤式が分布され、
韓国の支石墓の起源だけではなく東北アジアの支石墓変遷史を説明するためにも重要なものである。
このような点で竹林里、上甲里一帯の支石墓遺跡は東洋の巨石文化の中心と言えます。

竹林里、上甲里一帯の支石墓遺跡は、
巨石文化の産物として一番密集された支石墓遺跡という点で韓国だけではなく、
世界的にも有名な文化遺産です。

広い野原に岩が無造作に置かれたような支石墓。


高昌支石墓遺跡地 


高昌支石墓遺跡地 
 

支石墓の発掘場へと進む道。

 
高昌支石墓遺跡地 


高昌支石墓遺跡地 
 

山の頂上を目指していくと案内表示板があり詳しく説明が書かれているが、
また時間の都合のために下に下りないといけなくなった。
また、支石墓に一つ一つ番号が付けられていましたが、

この数字は発見された順の番号だといいます。

遺跡地の向かい側には、青銅器時代の生活を直・間接的に体験することの出来る
穴蔵、展示模型、家畜の小屋を設置しているソンサ村と支石墓を直接製作することができる
基盤削り体験場が用意されていました。


高昌支石墓遺跡地 
 

この遺跡地は、支石墓公園と言われていますが、
まだまだ公園と言うよりは遺跡地という言葉が似合っています。
関係者の方たちもあちらこちらに散らばっている支石墓を一つのコースにしようと頑張っている。
ソンサ村と体験場の他にも施設を拡大していくとより支石墓公園らしくなると思う。

※高昌支石墓公園  http://culture.gochang.go.kr/goindol/

 

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